魚編に虎と書いて鯱と読む!!

名古屋で読書会サークルを主催しています。読書の話を中心に徒然と書きます。グランパスが大好き。本職は公認情報システム監査人やってます。

泉鏡花「春昼・春昼後刻」

泉鏡花の作品の美しさは色彩の艶やかさと幻想的な世界観にあると思う。前者に圧倒され、後者で頭の中がボンヤリとした中で読み進むから、妖かしの世界に足を踏み入れたような気になってしまう。
しかし、言い換えると、ストーリーはそんなに大したこともない気が。ボンヤリとした頭で読んでるから、何か妖かしの物に騙されているような不思議な感じ。
獅子舞の少年が何故死ななければいけなかったのか?どこか辻褄が合わないし、理解できない。みをに殉じたのか、それとも、とばっちり?

 

春昼(しゅんちゅう);春昼後刻(しゅんちゅうごこく) (岩波文庫)
 

 

 

夏目漱石「こころ」

何度読んでも、「私」が「先生」に魅かれていくのか分からない。「先生」は先生をしているわけでもなく、いわゆる高等遊民に過ぎない。どこに魅かれたのか、自分に似ているから?それとも、自分にない何かを持っているから?「私」は狂言回し?
「先生」と「K」ともにメンタルが弱いといえば、それまでだが、勘当の身である「K」には何も残されたものがないし、「先生」自身は「K」が自殺した時点で心が壊れかけていたのだろう。
こっそりと婚約してしまう「先生」を卑怯と呼ぶのは簡単だが、恋愛なんてそんなものだ。自分だって本当に好きになった人なら友人より先手を打つのは必定。ただ、後味は悪いだろうね。

 

こころ (新潮文庫)

こころ (新潮文庫)

 

 

 

伊東潤「天地雷動」

長篠の戦い武田勝頼徳川家康羽柴秀吉3者の視点から描くことで、それぞれの立場、戦わざるを得ない理由が鮮明になる。そして、もう一人の主人公といっても良い宮下帯刀の存在が、物語に深みを与えているのではないか。名もなき侍大将の必死に生きる姿は、3人の武将とは立場が違えど、どこか似通ったものがある。
続編「武田家滅亡」では、この4人の運命がどう転ぶのか、続きを読んでみたい。

 

天地雷動 (角川文庫)

天地雷動 (角川文庫)

 

 

 

吉川英治「平の将門」

平将門というと平安時代にそぐわないクーデターを起こした、荒々しく「武神」のようなイメージが強いけど、この作品ではもっと人間臭く、みんなの「お兄ちゃん」という感じ。
周りに流されすぎというか、弟たちの心配もいいけど、自分の心配もしろよ。というか母性本能をくすぐるタイプなのか?
印象的だったのは、貞盛の妻を逃すシーン。色々と葛藤があっただろうに、その胸中を思うと、とても切ない。

 

平の将門 (吉川英治歴史時代文庫)

平の将門 (吉川英治歴史時代文庫)

 

 

 

田坂広志「知性を磨く」

「なぜ、高学歴の人物が、深い知性を感じさせないのか?」というグサッと刺さる言葉から始まった本書だけど、それは知識の量を増やすという教育の中でのエリートだからに過ぎない。
本当の知性とは「答えの無い」問いを問い続ける能力であり、一見、そこには意味がないようにも思える。しかし、実際には「問い続ける」というプロセスを繰り返すことで「知性」は深まっていく。
また、その深まった「知性」は自分の中に貯め込むのではなく、誰かのために役立ってこそ、本当の意味がある。

知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)

知性を磨く― 「スーパージェネラリスト」の時代 (光文社新書)

 

 

 

佐藤賢一「王妃の離婚」

『死人』という言葉には、オーエンや王妃の父(ルイ11世)も含まれているのかと思ったが、そうではなく、ただベリンダのみを指していた。
ベリンダ・オーエン姉弟が結び付けたフランソワと王妃の関係性。そして裁判後のそれぞれの人生は決して恥じるものではなく、決して傷つくことのない栄光になっていくのだろう。
全体を通して、最初はルイ12世を圧倒したまま「フルボッコ」にするのかと思ったけれど、いい具合に落とし所を見つけたというか、綺麗にまとまった感がある。

王妃の離婚 (集英社文庫)

王妃の離婚 (集英社文庫)

 

 

 

司馬遼太郎「豊臣家の人々」

豊臣家にとって最大の不幸だったのは、秀吉と寧々の間に子供ができなかったこと。その結果、何人もの平凡な「人々」がどうの、己の身に何が起きてるかも理解できぬまま、運命を翻弄され続けた。
まさに「ひとひらの幻影」に踊らされた一族の悲劇である。

 

『このようにしてこの家はほろんだ。このように観じ去ってみれば、豊臣家の栄華は、秀吉という天才が生んだひとひらの幻影のようであったとすら思える。』

 

豊臣家の人々 (角川文庫)

豊臣家の人々 (角川文庫)